真冬の金沢兼六園と白川郷に居ると心の余白が増えていく
たしか、1995年頃だったと思う。
石川県金沢市、兼六園には、添乗員の仕事をしていた時に一度、バスで行った記憶がある。
その時は仕事だったので、ゆっくり観光を楽しむ余裕なんてなく、夕食も吉野家の牛丼で済ませた記憶がある。
ただ、その時、思ったのは、
“次は仕事じゃなくて、ゆっくり観光でもう一回行こう!”
ということだった。
あれから、約30年近くの年月が流れて今年、金沢を再訪する機会を得た。
冬の金沢の澄んだ空気と歴史ある街並み
東京での仕事を済ませて、20時40分の羽田発の飛行機に乗り込む。
さすがにこの時間帯の羽田空港は人もまばらで、お店の多くが閉店準備に入っていた。
余裕を持って移動したので、ゆっくりチェックイン手続きを終えて小松空港行きの飛行機に乗る。
羽田を出て、1時間10分のフライトで石川県の小松空港に到着。
さすがに22時ともなると、小松空港のお店はどこもやっていない。
空港のロビーも薄暗い。
空港でスーツケースを受け取り、リムジンバスに乗り夜の高速道路の車窓から真っ暗な田園風景を眺めつつ、ウトウトしているとJR金沢駅に到着した。
既に時間は23時、さすがに駅構内は人もまばらだ。
予約していたホテルにチェックインして、近くのコンビニに出向き夜食を買って、ホテルの部屋でいただきお風呂に入って速攻で寝た。
翌朝の朝食はホテルの朝食会場でビュッフェをいただく。
さすが、全国旅行支援実施中ともあり、朝食会場はほぼ満席状態。
ただ、ビュッフェは満席でちょうどいい。
料理の回転が早くなり、熱々のものがいただける確率が上がるからだ。
趣ある街並みとセンスの良いコンテンツに魅了される
朝食を終えて少し休憩した後にホテルを出て、金沢市内を歩く。
駅の中も駅前も綺麗に整備されていて、さすが北陸のNo.1観光都市の風格だ。
事前にリサーチしていた近江町市場へ向かう。
金箔で有名な金沢ということで、〝金箔を貼ったソフトクリーム〟をオーダー。
金箔だけあって、なかなかにこれは映える画になった。
ちなみに、普通のソフトクリームが300円なのに対して、〝金箔を貼ったソフトクリーム〟は、850円だ。
その後は、30年前も訪れたであろう〝金沢城公園〟を歩く。
何もない広い場所というだけで、開放感を感じるのは、いつも都会の狭い場所で窮屈に暮らしているからなんだろうか…とそんなこと思いながら、ただただ広い公園を楽しむ。
新しい建物と、古い建物が立ち並ぶ間に、様々なオブジェも置かれていて、気づくとキョロキョロしている自分が居た。
旅行の仕事をしていた頃に、〝古都金沢〟というキャッチコピーを目にしていたが、いまはどうかな、古都なのかな…?
金沢21世紀美術館〝時を超えるイヴ・クラインの想像力〟
〝イヴ・クライン〟という芸術家のことは知らなかったが、この日は、金沢21世紀美術館に行くことにした。
自らの感性を磨くためには、圧倒的な感性の持ち主の作品を拝むことが近道だと誰かが言っていた。後にその言葉の真意を肌で感じた一日になった。
最近の美術館は〝撮影OK〟なところが多い。以前は〝NG〟なところが多かったがこれも時代の流れだろうか。
青い部屋に居ると、自身の視覚がどうかなってしまったのか?と錯覚する。
芸術家の感性に触れるということの価値は何物にも代えられないことを知る。
美術館を出て、次は直ぐ目の前にある兼六園へ。
お茶タイムの珈琲と落雁をいただく。珈琲がヌルいのはこういうものなのだろうか?
兼六園内を歩く。
改めて、金沢市というところは、観光地だなと思う。
趣のある素晴らしい街並みだ。
一度行きたかった冬の白川郷
日本の原風景ともいうべき美しい景観をなすこの合掌造り集落が評価され、1976年に重要伝統的建造物群保存地区として選定、さらに1995年には五箇山(富山県)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された、通称、白川郷。
これまで度々、その存在を耳にする機会があったが、なかなか行く機会がなかった。
今回、金沢から白川郷までバスで行けることを知り、この旅行の工程で必ず行こうと決めていた。
事前にバスの予約をして、チケットを購入。
白川郷に着いて、早速展望台に登る。
展望台から降りて、集落を散策。
重要文化財の〝和田家〟に入る。
窓から見える風景に日本の原風景を見た。
合掌造り。
また、数年後に行こうと思っている。
久々の大阪はやっぱり日本の中でも独創的な街だった!
12月は毎年、仕事で関西に来ている。
これまでは、忙しなく用事を済ませたら直ぐに東京に帰っていたけど、今回は“ 全国旅行支援 ”なるものを活用して、しばらく大阪に滞在することにした。
高校を卒業してすぐに就職で神戸から大阪に引っ越して、そこから23歳で上京するまでの約3年半ほどの間、わたしは大阪で暮らしていた。
だから大阪って街をある程度は知っているつもりでいたし、それほど興味も無かった。だけど、こうして久々に大阪に来てみるとそれは、わたしが知っていた頃とは違うところばかりで、実に魅力的な街に思えた。
だから、今回は少し大阪を歩いてみようと思った。
まず、手始めに向かったのは大阪城。大阪城には以前、一度近くまで行ったことはあるが、間近で見るのは初めてだ。
間近で見る大阪城の姿
この日は日曜日で、下から見上げた天守閣に大勢の人が見えて、外でも順番待ちの列が出来ている。
さすがにこの寒空の下、並んで、人混みの中を天守閣まで登る気分にはなれなかったので、この日は大阪城を外から眺めていた。
大阪城壁と内堀なのだろうか、こうした建造物を見ると当時のことを知りたくなる。今度、大阪城の歴史を調べてみよう。
綺麗に整備されて生まれ変わっていた天王寺駅
大阪城を後にして、JR森ノ宮駅から大阪環状線に乗り、天王寺へ
何故なら、わたしが大阪に暮らしていた3年半の間の実に2年間はこの天王寺にある専門学校に毎日通っていたからだ。当時の記憶からは想像出来ないほど、垢抜けた駅舎になっている。
日曜日だからだろうか、人が多い。
とにかく、寒かったので、二人で近くのカフェに入って、コーヒータイムで温まる。
立派な建造物の四天王寺
あまりの人の多さに今回、天王寺観光は諦めて、四天王寺をお参りしようと考えた。
天王寺の学校に通っていた頃から、四天王寺の存在は知っていたが行ったことは無かった。でも、GoogleMapを見ると、歩いていける距離だ。それなら…と歩くことにした。
天王寺から10分ほどで四天王寺に着いて、立派な建物を拝むことが出来た。
閉館ギリギリだったが、入館料を支払い中を見て回ってお参りを済ませた。
四天王寺から、恵美須町にも近いことを知ったので歩いて恵美須町に行くことに。
観光エリアと化した新世界
新世界は完全に観光の街と化していた。大阪で暮らしていた頃の新世界はどうも、“ 不気味な街 ”としてわたしの中では敬遠していたが、この30年弱の年月を経てこの街も様変わりしていた。
以前、テレビ東京の『ガイアの夜明け』という番組で特集を組まれていた星野リゾートのホテルがあったので、しげしげと眺めてみた。
“ 新今宮 ”から環状線に乗って、大阪駅に行き、連れが東京に戻るのでそれを見送った後、“ 天満駅 ”近くのホテルに。
その後、“ 心斎橋 ”のホテルに移動して、先にチェックインしてから、
エネルギーに満ちた大阪はミナミの夜
夜のミナミは10数年ぶりだろうか。
このネオンを見ていると、上海の街を思い出す。行ったこと無いけどwww
有名な“ 蟹の看板 ”も健在だ。そう言えば、大阪で暮らしていた頃はミナミでアルバイトをしていたことを思い出す。
“ りくろーおじさんの店 ”もリニューアルされて、場所も移転していた。相変わらずの行列だけど。
お心遣いをいただいたので、東京のクライアント様にりくろーおじさんのチーズケーキを手配させていただき、ちゃっかり自分の分も購入して、ホテルに帰った。
大阪城に天王寺、四天王寺に新世界にミナミと実に大雑把な行程ではあったが、今回の大阪は実に様々な発見があり楽しかった。
「来年の2023年はもう少し頻繁に大阪を訪れることにしよう。」と思いつつ、眠りにつく。
久しぶりに長野県松本市に滞在
最近、コロナの影響もあって、東京での仕事が忙しくなりずっと東京で暮らしています。
毎年3月のこの時期は地方へ出向いて、撮影したりしている時期なのですが、緊急事態宣言で様々な催しが無くなりまた、移動が制限されているため、東京の自宅でデスクワークの日々です。
移動が制限されるということがこんなにストレスを抱えることになるなんて、初めて気づきました。
だから移動出来る機会は、出る限りリフレッシュしてきます。もちろん、感染防止対策は万全にした上で。
今回は、久々の長野県松本市へ出向いた時のお話です。
新しくなった松本駅に降り立って、いつものお城口(東口)に向かいます。
とりあえず、到着したのが夜なのでこれからホテルに直行します。
松本駅前の出来たばかりのホテル。
夜遅かったので寝るだけのスペースを確保。
夜寝る時は“朝食は別にいいかなぁ…”と思っていたのですが、朝起きたら、『ちゃんとした朝食を取りたい!』と思ったので、ドーミーインへ行き朝食をいただくことに。
こういうのを見ると、信州に来たんだなぁ…としみじみします。
牛乳は身体に悪いのであまりとらないようにしていますが、今日は特別。少しだけいただきます。
うん、心地いい日差しでいいお天気。
今日は、スケジュールに余裕があるので、駅前を散歩。と言っても、このあたりは見慣れた風景で、懐かしさを感じつつ、松本市に住んでいた20年前と違っているところを探すことに。
何故?行かなかったかというと、仕事が忙しすぎてとしか言えませんが・・・
すべてのスケジュールをこなしたので、これから東京に帰ります。
お昼は抜いているので、何か買おうと駅前を散策。
次に松本に来るのはいつになるかな…と思いつつ、あずさに乗ります。
長野県上田市の上田城に初めて行ってきました。
今年(2020年)に入ってから、東京に居る日が長くなっていて気づくと半年近く東京で暮らしています。
そして、3月下旬。
コロナ禍の影響でほとんどの仕事がキャンセル。
キャンセルになったことを心のどこかで“ホッ”としている自分がいます。
それでも、4月上旬の長野県上田市での仕事だけはやっておきたかったので、他の仕事が無くなった分、長野県上田市での仕事に注力することが出来ました。
無事、仕事を終えた翌日に、初めて長野県上田市の上田城に足を運びました。
目的は桜を見るためです。
長野県上田市はわたしがグッドウィル社の長野支店を開設して営業の仕事をしていた時にクライアント先が数社上田市にあったので車で何度も訪れたことがあります。
上田市に行くたびに、上田城には一度行ってみようと思うのですが、勤めていた会社のグッドウィル社は今でいうところのブラック企業。
当然、そんな時間的な余裕もなく、今回ようやく訪れることが出来ました。あの当時が1999年でしたから、2020年で実に21年ぶり!
無事に役目を終えたので、新幹線に乗って今回は軽井沢を通過して東京へ戻ります。
軽井沢の万平ホテルでの会談
海外から大切なお客様がいらっしゃったので、軽井沢の万平ホテルでお会いして来ました。
万平ホテルは時々、お茶をさせていただいたり食事をさせていただいたりしています。
1894年創業の由緒あるホテルです。
あのジョン・レノンも日本滞在時には好んで宿泊されていたといいます。
これだけ静かならここでも十分お話出来ますね。
ホテル正面から入って右手にカフェがあります。由緒あるホテルのカフェにしてはリーズナブルな価格です。
夏の軽井沢に戻ってきました。
所用で東京に来ていたので、これから帰ります。
新幹線の座席で気に入っているのは進行方向の一番前の座席。
通路を行き来する人が真っ先に気になる席だけど、前の席の座席のリクライニングが倒される、“うっとおしさ”に比べるとマシかと。
軽井沢駅に到着。
ここから中軽井沢駅に向かいます。中軽井沢駅には“しなの鉄道”を使います。
しなの鉄道の軽井沢駅は新幹線の軽井沢駅と直結しているので乗り換えは楽。
駅舎も近代的な建物に建て替えられて新しくなっているけど、どこかローカル線の雰囲気が残っているのが素敵です。
しなの鉄道の軽井沢駅の電車から風景も観光都市軽井沢ならでは。広告も観光案内。
1999年に長野県長野市に住んでいた頃に仕事で何度か車で行ったことがある小布施町ですが、どんなところだったかほとんど記憶がない…
街を上げての観光キャンペーンをやっているようなので、近々一度行ってみようかと思っています。
自宅がある中軽井沢駅に着きました。
しなの鉄道の中軽井沢の駅舎内には近代的な図書館があります。ここでよく読書しています。ゆっくりとしたいい時間が流れています。
東京からわずか1時間ちょっとですが、住みやすい良い街です。
軽井沢に住み始めて感じたこと
軽井沢に住み始めてもうすぐ1年が過ぎようとしている・・・
“住み始めて”と書いたが、
軽井沢に住んでいるのは1ヶ月のうち大体1週間から10日ほどだ。
1年の4分の1から3分の1ほどの時間を軽井沢で暮らしていることになる。
■初夏の軽井沢駅
■初夏の軽井沢駅前
初めの頃は楽天トラベルで長期滞在に向いているホテルを選んで、
先にトランクで荷物を送り、身軽な状態で軽井沢入りしていた。
■軽井沢の万平ホテル
最初の4ヶ月くらいはそんな状態のホテル暮らしだったが、
途中から自炊することを考慮して、アパートを借りた。
■近くのカフェの朝食
2LDKで使い勝手のいいアパートだ。
森が近く静かな環境で仕事もはかどる。
食材などの買い物はネットで近くのスーパーから日に3度配達してくれる。
便利な時代になった。
その他必要なものがあれば、
Amazonでオーダーすれば全く問題ない。
わたしのような仕事をしていると、
環境はとても大切な要素になってくる。
オンラインプログラムの受講生の方々のお住いも全国津々浦々だから、
その土地土地の環境によって同じコンテンツでも違った捉えられ方をする、
だからわたし自身もそういった違った捉え方を出来るような柔軟性が必要だと思う。
そういう意味では、
こんな自然の中に一定期間暮らしているというのは何者にも耐え難い貴重な体験だ。
■星野リゾート近くの森